アイザック・アジモフ
Isaac Asimov (1920年1月2日 -
1992年4月6日)
アメリカの作家、生化学者。 非常に成功した多作の作家であり、その著作は500冊
以上を数える。彼の扱うテーマは科学、言語、歴史、聖書等々非常に多岐にわたるが、特にSFおよび一
般向け科学解説書、また推理小説作家としてよく知られている。長年にわたり、メンサの会員でもあった。
注記: 日本では「アシモフ」と「アジモフ」の二通りの表記が行なわれているが、本人の望んでいた発音は後者に近い。 |
来歴 アジモフ はロシアのペトロビッチにおいてユダヤ系ロシア人として生 まれ、3歳の時に家族とともにアメリカに移住した。ニューヨークはブルックリンで育ち、1939年コロンビア大学を卒業、1948年化学博士号を取得。ボ ストン大学医学部の生化学の准教授となるが、後にその肩書きを保持したまま、教壇を降りている。 自伝の中 では母語はイディッシュ語だと述べている。イディッシュ語 による作品を残していないことから、観念上の「母なる言葉」に過ぎず、「第一言語」の意味での母語は英語と考えられるが、彼のアイデンティティーを考える 上で興味深い。 アジモフ は人道主義者かつ合理主義者であった。純粋な信仰心に反対 することはなかったが、超常現象や根拠のない思想に対しては断固とした態度を貫いた。飛行機嫌いも有名であり、その生涯で飛行機を利用したのはただ2度の みである。また狭くて閉ざされた空間をこよなく愛する閉所愛好家(閉所恐怖症の反対)でもあった。 ほとんど の政治的問題においては進歩的な態度をとっており、民主党 の強い支持者であった。1970年代初期のテレビのインタビューでは公然とジョージ・マクガヴァンを支持している。1960年代末葉以前、多くの進歩的な 政治活動が不合理な政策の原因となったことは、彼にとっては不幸なことであった。さらにスリーマイル島の事故以降も一般社会への原子力の応用に肯定的で あったことは、彼と左派の人々との関係に少なからず影響を与えた。このほか、ポール・エルリッヒによって発表された将来の見通しを受けて、多くの著作で人 口管理の重要性を訴えている。晩年アジモフは、中産階級の人々が郊外に移動したことによるニューヨークの税収減少のため、生活の質が悪化したことを嘆いて いる。彼の最後のノンフィクションの著作は『Our Angry Earth (怒れる地球)』(1991年、SF作家フレデリック・ポールとの共著)であり、この中で彼は地球温暖化やオゾン層の破壊といった環境危機について論じて いる。 アジモフ は1992年4月6日に没した。死因はヒト免疫不全ウイル ス (HIV) によるものであったが、これは1983年に受けた心臓バイパス手術の際の血液感染が原因である。後天性免疫不全症候群(エイズ)が死因であったことは、彼 の死から10年の後に出版された彼の妻ジャネット・アシモフの自伝『It's Been a Good Life (我が良き生涯)』で明らかにされた。 彼の栄誉をたたえ、(5020) Asimovと名づけられた小惑星が存在する。また、公式には否定されているが、本田技研工業の人型ロボット ASIMO もアジモフにちなんで名づけられたと考えられる。また東京大学で2003年に開発された、起き上がり動作に特化したロボットが、彼の小説に登場するロボッ トに因んで「ダニール」と名付けられている。 |
SF アジモフは1939年にSF小説の投稿 を始めた。短編『夜来たる Nightfall』(1941年)は『Bewildering Stories』第8号で「もっとも有名なSF小説」の一つとして挙げられている ([1])。また、1968年アメリカSF作家協会(現アメリカSFファンタジー作家協会)による投票でも「これまでに書かれた最高のSF短編」に選ばれ ている([2])。彼の短編集『夜来たる Nightfall and Other Stories』の中で彼はこう述べている。 「『夜来たる』は、わたしのプロ作家としての経歴の中 で、一つの転換点となった作品である(中略)突然、私は重要な作家と見なされ、SF界が私の存在に注 目するようになった。何年か後には、わたしはいわゆる"古典"を書いたことがはっきりした」(「夜来たる」ハヤカワ文庫、美濃透訳) 1942年には『ファウンデーション Foundation』を書き始めた。これは後に「ファウンデーション三部作」(『ファウンデーション Foundation』(『銀河帝国の興亡』、1951年)、『ファウンデーション対帝国 Foundation and Empire』(1952年)、『第二ファウンデーション Second Foundation』(1953年))と呼ばれた。これらは未来の宇宙における巨大な銀河帝国の崩壊と再生の物語であり、また、アジモフの最も有名な SF作品でもある。このシリーズは長い空白期間の後『ファウンデーションの彼方へ Foundation's Edge』(1982年)、『ファウンデーションと地球 Foundation And Earth』(1986年)、および元の三部作以前を描いた『ファウンデーションへの序曲 Prelude to Foundation』(1988年)、『ファウンデーションの誕生 Forward the Foundation』(1992年)といった続編が書かれた。これらを総称して『ファウンデーションシリーズ』という。ちなみにアジモフの死後、続編と して『新・銀河帝国興亡史』三部作 『ファウンデーションの危機 Foundation's Fear』(グレゴリー・ベンフォード) 『ファウンデーションと混沌 Foundation and Chaos』(グレッグ・ベア) 『ファウンデーションの勝利 Foundation's Triumph』(デイヴィッド・ブリン) が発表されている。 彼のロボットものも同じ頃に書き始められた。その多く は短編集『われはロボット I, Robot』(1950年)に収録されている。これらの作品群により、ロボット・人工知能の倫理規則(いわゆるロボット工学三原則)が世に広められた。こ の規則は、他の作家や思想家がこの種の話題を扱うに際して大きな影響を与えている。これらの作品群のひとつである『バイセンテニアル・マン The Bicentennial Man』(1976年)はロビン・ウィリアムス主演で映画化された(映画タイトルは『アンドリューNDR114』)。 これらの他、この作品のため、アジモフは自らの博士号 取得がだめになるのではないかと心配するほどの『チオチモリンの驚くべき特性 Thiotimoline|The Endochronic Properties of Resublimated Thiotimoline』(1948年)のような、科学論文のパロディーも残している。 |
推
理小説 アジモフはまた、重要な推理小説作家の 一人でもある。代表作は『黒後家蜘蛛の会』シリーズ。1972年2月号の「EQMM(エ ラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン)」誌に、第一作「会心の笑い」が発表された。その後断続的に、晩年に至るまで発表された。 『黒後家蜘蛛の会』の構成は以下である。ニューヨーク の「ミラノ・レストラン」で月1回、「黒後家蜘蛛の会」という名の例会が行われる。メンバーは化学 者、数学者、弁護士、画家、作家、暗号専門家であり、1名のゲストが参加する。そこでは常に、初老の男ヘンリーが給仕に付く。メンバーは、食事をしながら 四方山話をする。その過程においてある「謎」が出てくる。メンバーはそれぞれの専門知識を援用して考えていくが、結論にはたどりつかない。最後に給仕のヘ ンリーが真相を明らかにする。 『黒後家蜘蛛の会』は、ほぼ純粋なパズル・ストーリー であり、殺人事件さえめったに起こらない。題材は、盗まれた物は何かとか、遺産を得るための暗号の解 読とか、忘れてしまった地名の推測などの、より日常的な問題である。解決にはヘンリーの(つまりアジモフの)該博な知識が使われる。ヘンリーは代表的な安 楽椅子探偵の一人である。 『黒後家蜘蛛の会』はすべて短編で66作書かれた。う ち60作は5冊の短編集として出版され(邦訳有り)、残りの6作はアジモフの死後、"The Return of the Black Widowers"(2003年)にまとめられた。 また、アジモフは『ユニオン・クラブ奇談』というシ リーズも書いている。これはクラブで語られるパズル・ストーリー。『黒後家』と違うのは、『黒後家』の 名探偵役ヘンリーが人格円満で謙虚な人物であるのに対して、『ユニオン・クラブ』の名探偵役グリズウォルドが傲岸で偽悪的な人物という点である。しかし全 体的な構成やトリックは似ている。アイディアを使うという点で二作は競合関係にあって、『ユニオン・クラブ』執筆中は『黒後家』の執筆は進まなかった。 『黒後家』『ユニオン・クラブ』シリーズには長編作品 はないが、アジモフは長編ミステリーの『ABAの殺人』『象牙の塔の殺人』を書いている。また、初期 のSF作品『鋼鉄都市』『はだかの太陽』は、SFとミステリを融合させた作品であった。 |
ノ
ンフィクション SF作家として知られるアジモフは、科学エッセイを多 数書いている。なかでもファンタジー&サイエンス・フィクション誌に連載されていた科学エッセイは 400編以上を数え、テーマも物理・天文・化学・生物学・科学史など多岐にわたっている。 アジモフは2冊に及ぶ「Asimov's Guide to the Bible (アジモフの聖書入門)」を著した。第1巻(1967年)は旧約聖書を、第2巻(1969年)は新約聖書をそれぞれ扱っている。後にこの本は1300ペー ジに及ぶ1冊の本にもまとめられた。地図と図表をふんだんに用いたこの本では、おのおのの歴史やそれに関係する政治的影響、また重要な歴史上の人物につい ての説明を行いながら、聖書という本を体験できるようになっている。 彼はまた、2冊にわたる自伝も書いている − 『アジモフ自伝I〜思い出はなおも若く In Memory Yet Green』(1979年)、『アジモフ自伝II〜喜びは今も胸に In Joy Still Felt』(1980年)。3番目の自伝、『I. Asimov: A Memoir (私はアジモフ〜その思い出)』は1994年4月に出版された。この本のエピローグは彼の死のあとまもなく、彼の後妻であるジャネット・アシモフによって 書かれたものである。 他にも彼の日ごろからの社会的主張もいくつかのエッセ イにまとめられている−『考えることを考える Thinking About Thinking』『Science: Knock Plastic (科学 : プラスチックをたたく)』(1967年)など。 フジテレビ系バラエティー番組「トリビアの泉」で番組 開始当初から紹介されていた、「人間は無用な知識の数が増えることで快感を感じることができる唯一の 動物である」は、彼の名言の1つだとされているが、実は出典は不明確。そのためか、2005年1月1日の放送から、別のもの(哲学者・アリストテレス)に 差し替えられている。 |