ジャン=リュック・ゴダール


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ジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard、1930年12月3日 - )は、フランス・スイスの映画監督。パリに生まれる。ソルボンヌ大学中退。ヌーヴェルヴァーグの旗手。欧州のみならず世界レベルで最も重要な映画作家の1 人。


[略歴]

1959年 映画『勝手にしやがれ』で長編映画デビュー。
1961年 長編第2作の『小さな兵隊』に主演女優として出演したアンナ・カリーナと結婚。
1964年 アンナ・カリーナと独立プロダクション「アヌーシュカ・フィルム」設立。
1965年 『気狂いピエロ』発表。
1965年 アンナ・カリーナと離婚。
1967年 『中国女』に出演したアンヌ・ヴィアゼムスキーと結婚。
1968年 カンヌ映画祭に、映画監督フランソワ・トリュフォー、クロード・ルルーシュ、ルイ・マルらと共に乗りこみ映画祭を中止に追い込む。その後、商業映画からの 決別を宣言。ジャン=ピエール・ゴラン等と共に映画製作集団「ジガ・ヴェルトフ」を結成し活動の主軸とした。
1970年 アンヌ・ヴィアゼムスキーと離婚。
1972年 イヴ・モンタンとジェーン・フォンダを主役に据えた5年ぶりの商業映画『万事快調』を制作。しかし本格的な商業映画の復活ではなく、この作品以降再び政治 的メッセージとしての作品を撮り続ける。
1974年 『ヒア&ゼア・こことよそ』の撮影の取材を行っていたカメラマンのアンヌ=マリー・ミエヴィルとパートナー関係を結ぶ。ゴダールとミエヴィルとは 映画製作プロダクション「ソニマージュ(SONIMAGE)」を設立し、以降2人は公私に及ぶ強固なパートナー関係を維持し続ける。
1979年 『勝手に逃げろ/人生』で商業映画への復活を果たす。
1982年 『カルメンという名の女』によりヴェネチア映画祭で金獅子賞を獲得。
1989年 『映画史』の第1章と第2章とを発表
1998年 『映画史』の最終章である第4章を発表。
2002年 日本の高松宮殿下記念世界文化賞受賞。

[人と作品]

ゴダールの映画に対する姿勢や根本的な作風はデビュー当時から今日に至るまで本質的には変化していないと言えるのだが、パートナーが誰であるかということ と大まかな作風の傾向により便宜的に前期・中期・後期の3期に分類することができる。

[前期 ヌーヴェルヴァーグの時代]

シネ・フィルとして数多くの映画に接していた若かりし日のゴダールは、シネマテーク・フランセーズに集っていた面々(フランソワ・トリュフォー、クロー ド・シャブロル、エリック・ロメール、ジャン=マリ・ストローブ等)と親交を深めると共に、彼らの兄貴分的な存在だったアンドレ・バザンの知己を得て彼が 主宰する映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ」に批評文を投稿するようになっていた。すなわちゴダールは、他のヌーヴェルヴァーグ(右岸派)の面々がそうで あったように批評家として映画と関わることから始めたのだった。

数編の短編映画を手掛けた後、先に映画を制作して商業的な成功も収めたクロード・シャブロル(『美しきセルジュ』『いとこ同士』)やフランソワ・トリュ フォー(『大人は判ってくれない』)から資金的な援助を得て長編処女作『勝手にしやがれ』を制作・公開し、一躍スターダムにのし上がる。ジャン=ポール・ ベルモンドが演ずる無軌道な若者の刹那的な生き様という話題性のあるテーマもさることながら、即興演出、同時録音、自然光を生かすためのロケ中心の撮影な どヌーヴェルヴァーグ作品の特徴を踏襲しつつも、物語のスムーズな語りをも疎外するほどの大胆な編集術(ジャンプカット)とそこから醸し出される独自性と が非常に評価されたのだった。

ジーン・セバーグが演じた主演女優には、ゴダールは当初は思慕していた(片思い状態だった)アンナ・カリーナを想定していたが、本人の拒絶によりこのこと は実現しなかった。しかし『勝手にしやがれ』の成功を背景として2人の関係は親密なものとなり1961年に結婚。以降アンナ・カリーナは前期におけるゴ ダール作品の多くの主演女優を務めることになる。

長編第2作である『小さな兵隊』以降1967年の『ウィークエンド』を1つの頂点として商業映画との決別を宣言する中期に至るまで、1年に平均2作程度と いう比較的多作なペースで作品を制作し続けるが、多分にスキャンダラスな物語設定や扇情的な数々の発言により大ヒットとは言えないまでもコンスタントな ヒットを続け、ゴダールは名実共にヌーヴェルヴァーグの旗手としての立場を固めていった。

前期のゴダール作品はヌーヴェルヴァーグの基本3要素(即興演出、同時録音、ロケ撮影中心)とはっきりとしない物語の運び以外には一見すると共通項の少な い多彩な商品群となっている。題材もアルジェリア戦争(『小さな兵隊』)、団地売春の実態(『彼女について私が知っている二、三の事柄』・1966年)、 SF仕立てのハードボイルド(『アルファヴィル』・1965年)と広範囲に及んでおり、ほぼ一貫して男女の恋愛劇を描き続けたトリュフォーと比べるとその 多彩さは明らかだ。

またカメラワークやフレーミングといった映画の技術的/話法的な要素についても、1作ごとに場合によっては同じ作品の中でも異なったトーンが用いられてお り、この多彩さこそが前期ゴダールの特長であると言えよう。しかし、別な観点から見るならこれらの作品は「分断と再構築」という2つの機軸によって構成さ れているという点においてはある種の統一感で貫かれており、事実表面的な作風が異なる中期や後期に至るまで「分断と再構築」こそがゴダール作品の基底を成 している。また、前期においては「映画内映画」の要素を積極的に取り入れていたことも大きな特徴となっている。『軽蔑』(1963年)のように実際の映画 の制作自体を作品としたものから、『気狂いピエロ』(1965年)における主演のジャン=ポール・ベルモンドがスクリーンを見ている観客自身に語りかける ような話法に至るまで様々な「映画内映画」の要素が盛り込まれ、こうしたメタ映画的な構成の目新しさもゴダール人気を煽る一因となっており、一時ゴダール 風と言えば映画の「内」と「外」とを意識的に混在させる手法と受け取られたことすらあったほどだ。しかし、一般的にはファッションとして受け取られること が多かったメタ映画の構造も「分断と再構築」と並んでゴダール(作品)の根本的に重要な要素であり、後期においてそれが更に深化されることになる。

[中期 政治の時代]

ジャン=ポール・ベルモンドの爆死をクライマックスとする『気狂いピエロ』の大ヒット以降、パリ五月革命に向かって騒然とし始めた世相を背景に、ゴダール の作品は政治的な色合いを強めていく。『小さな兵隊』がアルジェリア戦争を揶揄してものであったことからもわかる通り、ゴダールは初期のころから政治に対 する志向が強く、政治的なテーマや題材をあまり取り上げることがなかった他のヌーヴェルヴァーグの作家達とはこの点においては一線を画していた。パリ五月 革命の予言だとか先取りだとか言われる、マオイズムをテーマとして取り上げた『中国女』(1967年)において既に政治的な傾向が顕著になっていたが、ゴ ダールを「政治の時代」へと踏み入らせる直接的なきっかけとなったのは1968年のカンヌ映画祭粉砕事件だった。コンテストの必要性の有無を巡った議論を 直接的な契機として発生したこの事件においては、トリュフォーとルイ・マルとが最も戦闘的な論陣を張り、ゴダールの関与は必ずしも積極的なものではなかっ たが、この事件をきっかけとして各々の政治的な立場・主張に亀裂が入り始め作家同士が蜜月関係にあったヌーヴェルヴァーグの時代も事実上の終わりを告げる に至る。プライベートにおいてもアンナ・カリーナとは1965年に離婚し、『中国女』への出演を機に1967年にアンヌ・ヴィアゼムスキーがゴダールの新 たなるパートナーとなった。

『ウィークエンド』(1967年)を最後に商業映画との決別を宣言し『勝手に逃げろ/人生』(1979年)で商業映画に復帰するまで、ビデオを中心とした 政治的メッセージ発信の媒体としての作品制作を行うようになる。また商業映画への決別と同じタイミングで、自身が商業的な価値を持ってしまった"ジャン= リュック・ゴダール"の署名を捨てて、ジガ・ヴェルトフ集団を名乗って活動を行う。これはゴダールとマオイストの政治活動家であったジャン=ピエール・ゴ ランを中心とした映画制作集団であり、この時期のパートナーであるアンヌ・ヴィアゼムスキーもメンバーとして活動を行っていた。

前期のゴダールが一言で言えば躍動感と瑞々しさとを特徴とするのに対し、中期のゴダール作品は政治的なメッセージ発信のための手段である非常に禍々しいも のへと変化していった。前期においても文字や書物からの引用は行われていたが中期においてはそれが更に顕著なものになり、映像の断片と文字、引用(台詞、 ダイアローグ、ナレーション)とが目まぐるしく洪水のように押し寄せる作風が特徴とされる。しかし、中期においてもゴダールは映画を単なるメッセージ発信 のための手段として利用するのではなく、映画で何が可能なのか(そして何が不可能なのか)を自省しつつ作品を作り続けていた。例えば中期の皮切り作品と言 えるオムニバス映画『ベトナムから遠く離れて』(1967年)において、クロード・ルルーシュを始めとする他の監督達がデモのドキュメンタリーや反戦活動 家のメッセージといった直接的な反戦運動を取り上げていたのに対し、ゴダールはパリにおいてカメラを操作する自分自身をカメラに捉え、ベトナムに関する映 画を制作することに関する自問自答を延々と撮し続けている。ローリング・ストーンズが出演しレコーディング風景が収録されたことで多くの話題を呼んだ『ワ ン・プラス・ワン』(1968年)においても、様々な場面(場所)で多様な人が政治的なメッセージを読み上げるシーンと試行錯誤しているストーンズのリ ハーサルシーンとを交互に重ね合わせることにより、当時の政治的な状況をメッセージとしてではなく映画作品として具体的に体現(再現)する実験を試みてい る。余談になるが、この映画は本来ならレコーディングは完了せずに終る予定であり、未完であることにこそ本質的な意味があるとゴダールは考えていたのであ るが、制作者側の商業的な意図により作品の最後で完成した『悪魔を憐れむ歌』が挿入されてしまった。ゴダールが激怒したのは言うまでもない。なお、この作 品はゴダールが活動資金稼ぎを目的として制作されたもので、中期に位置するものの商業映画(イギリス資本)としてゴダールの署名で制作されている。

[後期1 『映画史』以前]

『勝手に逃げろ/人生』(1979年)で商業映画への復帰を果たしてから以降今日に至るまでが後期に相当するが、後期においてもおおよそ1980年代に相 当する「『映画史』以前」と1980年代末から1998年『映画史』の完成に至るまでの「『映画史』の時代」、さらにこれ以降今日に至るまでの「『映画 史』以降」に区分けすることができる。

「『映画史』以前」の作品群は、ゴダールの作品の中でも最も馴染みやすいものであると言える。他の時期に比べ物語の筋立てがある程度わかりやすいものに なっているし、ゴダールの造形的な才能がいかんなく発揮された美しい映像が惜しむことなく展開されているからだ。トリュフォーをして「彼こそが本物の天才 だ」と言わしめたゴダールの映画的なセンスは衆目が認めるものではあったが、前期や中期においてはその期待を敢えて裏切るように画面の審美性から遠離った 画作りをすることが少なくなかった。もちろんわざと汚い画面、あるいは粗雑なカメラワークやフレーミングを行った訳ではないだろうが、審美性だけで鑑賞さ れる作品はゴダールの映画に対する基本的な姿勢とは相反するものであり、審美性つまり構図やら画面における構成要素の配置の美しさやらに留まらない映画と しての美しさと価値とを様々な観点から追求し続けていたと言えよう。 しかし、後期においてはこうしたカメラワークとフレーミングにおける実験的な要素は影を潜め、メタ映画レベルの挑戦が主軸に位置されるようになる。その集 大成が「映画そのものについて映画で思考し映画で表現する作品」である『映画史』であろうが、実際に『映画史』の制作に着手する前の1980年代は、そこ に至るまでの試行錯誤の中間地点であると言えるだろう。

試行錯誤とは言ってもそれはゴダールの内的な経緯における話であって、実際にできあがった作品は一般的な意味において完成度の高い、多くの人に対して広く 門戸が開かれた作品であると言える。ただし、これはゴダールの作品の中では比較的という注釈付きの表現であり、「分断と再構築」を基本とする作風に根本的 な変化はない。むしろ「分断」に関しては「政治の時代」をくぐり抜けたことにより一層の磨きがかかっており、全体の構成や物語の把握のしやすさに関しては 前期よりもむしろ困難になっている。しかしこれは今日のハリウッド映画に接するのと同じような姿勢で作品に臨むことを前提とした場合、すなわちまるでベル トコンベアに運ばれるように丁寧で親切なヒントやら手がかり、さらには解答まで準備されたものを受動的に受け取ることを前提とした場合に言えることであ り、自分自身で能動的に作品を構築する姿勢で作品に臨むなら、ゴダール作品の「解体と再構築」を基本とする作品構造は他に比類のない程の確かな手応えを与 えてくれるだろう。

一方「『映画史』以前」の段階では、「『映画史』の時代」で大々的に用いられることになるテキストや音楽、音声の分断と再構築は余り積極的には用いられて はいない。クラッシック音楽が基調となっているという点では後期全般に同一の傾向が認められはするものの、「以前」の段階ではまだBGMは画面を彩るもの として活用されており、音声やテキストの多重化は限定的なものだ。従ってこの時点において観客が行うべき再構築の大半は映像的な要素となっている。

[後期2 『映画史』の時代]

1989年に第1章と第2章が発表され、1998年に第4章の完成をもって完結する『映画史』的なものが中心となるのが「『映画史』の時代」だ。ここにお いて「分断と再構築」の構造は更に深化を遂げ、映像、声(台詞)、テキスト、そして音楽がそれぞれのレベルで分断され、1つのシーン(作品)として再構築 される。「政治の時代」におけるテキストやメッセージの活用、「『映画史』以前」における映像の「分断と再構築」の深化が一つになって結実したのが「『映 画史』の時代」の作品群であると言えるだろう。

しかし、実はその発端は『映画史』の制作着手よりも10年近く前に制作された『フレディ・ビアシュへの手紙』(1981年)にある。これはローザンヌ市の 市制400年を記念して市からの依頼に基づいて制作された作品で、映画を制作すること自体を、記念映画を制作することに関するゴダールの内省をフィルム化 した内省録風の作品で、何かについて語った映画ではなく、語ることそのものあるいは「について」と言うこと自体を対象としたメタ構造を持つ作品だった。確 かに上述の通り前期においても既にメタ映画的な要素は活用されてはいるが、その時点においては部分ないしは要素あるいは作品に対する味付けとして用いられ ていたに過ぎない。これに対し『フレディ・ビアシュへの手紙』は、メタ要素そのものが対象となっているという点で新しく、その後に続く作品の道筋が提示さ れていたと言えよう。また『フレディ・ビアシュへの手紙』においては語る私(=ゴダール)の直接的な登場や文字(テキスト)の活用など『映画史』以降を構 成する基本要素がいくつも提示されていた。

ビデオ作品として制作された『映画史』は、一般的な意味における映画史に関するカタログ的な解説ではない。何の修飾詞も付けず「映画史」と題されてはいる が、ここで参照され言及される作品は極めて限定されたもに過ぎない。その構成要素は、1950年代までのハリウッド、ヌーヴェルヴァーグを中心としたフラ ンス、イタリアのネオ・リアリスモ、ドイツ表現主義およびロシア・アヴァンギャルド映画等のその他ヨーロッパ諸国の作品が圧倒的多数を占めており、非欧米 では日本から4人の作家(溝口健二、小津安二郎、大島渚、勅使河原宏)が参照されるのが目立つ程度であり、世界最大の映画生産国であるインドや、一定の ジャンルを形成しうるほどの勢力に育ちつつある香港やイラン等のアジア、シネマ・ノーヴォのブラジルに代表されるラテン・アメリカ諸国はあっさりと無視さ れている。時代的にも著しい偏りが見られ、1970年代以降で取り上げられいるのは殆どが自分の作品だけであり、大半が1950年代までの「古き良き映 画」だ。

また、映画に限らず音楽や絵画等の美術作品、写真(肖像写真を含む)も膨大に引用されており、その取り扱い方に映画との特別な差異はない(もちろんこれら についても西欧のもののみが対象となっている)。つまり『映画史』とは一般名詞としてのあるいは教養としての「映画史」ではなく、ゴダール自身の映画を中 心とした芸術遍歴と論考とを表現したものであり、(様々な)映画について語る(表現する)ことではなく、映画について表現すること自体を映画によって構成 したメタ映画がその本質なのだ。

この基本構造は『フレディ・ビアシュへの手紙』によって実現されたものと本質的な違いはないが、題材や対象範囲の広さ、「分断と再構築」の深度は比較にな らないほどの進化を遂げている。ビデオ作品である利点を最大限に生かし、多重引用やリピートなどが盛んに行われており、ただ漫然と眺めているだけでは多く の参照元の推定すら難しいほどの加工が施されている。そしてこうした再構築もビデオクリップ作品のようにおもしろおかしさを基本に構成されているのではな く、その真偽の程はともかくとしても全4章、各章ごとにAとBとに分けられた合計8章ごとに一定のテーマが設けられ、それに従って引用やらコラージュが成 されているので、見る側には極度の緊張と集中とが求められることになる。

[後期3 『映画史』以降]

ゴダールの1990年代は『映画史』の制作に力を注ぎ続けていたと言えるだろうが、『新ドイツ零年』(1991年)や『JLG/自画像』(1995年)も ほぼ同傾向の作品と見なすことが可能であり、まさに「『映画史』の時代」であった。しかし、同時に『ヌーヴェルヴァーグ』(1990年)、『フォーエ ヴァー・モーツァルト』(1996年)のように1980年代と似たような構成すなわち「分断と再構築」とを基調としながらも物語やある種のテーマ性を持っ た作品も作り続けており、『映画史』完了後の2001年に制作された『愛の世紀』もこの系列に位置している。2004年にフランス本国で公開された最新作 『アワー・ミュージック』(私たちの音楽、の意)以降、ゴダールがどのような方向に向かうかは現時点(2004年1月)においては明言することはできない が、「分断と再構築」を手法の基本とし「映画には何が可能か」と言うメタ映画の追求を最終的なテーマとした作品を作り続けていくだろう。つまりゴダールの 狙いと目的とするところは実は『勝手にしやがれ』以来根本的な変化はなく、その意味において、彼は終始首尾一貫性を保ち続けている作家だといえる。

このような首尾一貫性、本質的な意味における前衛性、そして常に物議を醸しながら、商業主義と折り合いを付けつつも少ないとは言えない作品を継続的に作り 続けていくことが可能な作家は世界中探してもゴダールをおいて他にはいない。ゴダールが世界を代表する映像作家と賞賛され続けている所以である。

[主な 監督作品]

『男の子の名前はみんなパトリックっていうの』Charlotte et Véronique, ou Tous les garçons s'appellent Patrick 1957年(短編)
『水の話/プチ・シネマ・バザール』Une histoire d'eau 1958年(短編)
『勝手にしやがれ』 À bout de souffle 1959年
『シャルロットとジュール』Charlotte et son Jules 1960年(オムニバス作品)
『小さな兵隊』Le Petit soldat 1961年
『女は女である』Une femme est une femme 1961年
『怠惰の罪』La Paresse- Les Sept péchés capitaux 1962年(オムニバス作品『新七つの大罪』)
『女と男のいる舗道』Vivre sa vie: Film en douze tableaux 1962年
『新世界』Il Nuovo mondo- Ro.Go.Pa.G. 1963年(オムニバス作品『ロゴパグ』)
『カラビニエ』Les Carabiniers 1963年
『軽蔑』Le Mépris 1963年
『はなればなれに』Bande à part 1964年
『立派な詐欺師』1964年 Plus belles escroqueries du monde (オムニバス作品『世界詐欺師物語』)
『恋人のいる時間』Une femme mariée: Suite de fragments d'un film tourné en 1964 1964年
『モンパルナスとルヴァロア』Montparnasse-Levallois 1965年(オムニバス作品『パリところどころ』)
『男性・女性』Masculin féminin: 15 faits précis 1965年
『気狂いピエロ』Pierrot le fou 1965年
『アルファヴィル』Alphaville, une étrange aventure de Lemmy Caution 1965年
『彼女について私が知っている二、三の事柄』2 ou 3 choses que je sais d'elle 1966年
『メイド・インUSA』Made in U.S.A. 1967年
『カメラ・アイ』Loin du Vietnam 1967年(オムニバス作品『ベトナムから遠く離れて』)
『中国女』La Chinoise 1967年
『ウィークエンド』Week End 1967年
『未来展望』Anticipation, ou l'amour en l'an 2000 1967年(オムニバス作品『愛すべき女・女たち』)
『ワン・プラス・ワン』Sympathy for the Devil 1968年
『ブリティッシュ・サウンズ』British Sounds 1969年
『プラウダ(真実)』Pravda 1969年
『東風』Le Vent d'est 1969年
『イタリアにおける闘争』Lotte in Italia 1970年
『万事快調』Tout va bien 1972年
『パート2』Numéro deux 1975年
『うまくいってる?』Comment ça va? 1975年
『ヒア&ゼア・こことよそ』Ici et ailleurs 1975年
『勝手に逃げろ/人生』Sauve qui peut (la vie) 1979年
『フレディ・ビアシュへの手紙』Lettre à Freddy Buache 1981年(短編)
『パッション』Passion 1982年
『「パッション」のためのシナリオ』1982年(ビデオ作品)
『カルメンという名の女』Prénom Carmen 1983年
『ゴダールのマリア』Je vous salue, Marie 1984年
『ゴダールの探偵』Détective 1985年
『右側に気を付けろ』Soigne ta droite 1987年
『ゴダールのリア王』King Lear 1987年
『映画史・第1章』Histoire(s) du cinéma: Fatale beauté 1989年
『映画史・第2章』Histoire(s) du cinéma: La monnaie de l'absolu 1989年
『ヌーヴェルヴァーグ』Nouvelle vague 1990年
『新ドイツ零年』Allemagne 90 neuf zéro 1991年
『ゴダールの決別』Hélas pour moi 1993年
『JLG/自画像』JLG/JLG - autoportrait de décembre 1995年
『フォーエヴァー・モーツァルト』For Ever Mozart 1995年
『映画史』Histoire(s) du cinéma 1998年(完成)
『愛の世紀』Éloge de l'amour 2001年
『時間の闇の中で』Dans le noir du temps 2002年(オムニバス作品『10ミニッツ・オールダー』)
『アワーミュージック』Notre musique 2004年



[外部リンク]

Histoire(s) du cinéma

Cinema=Jean-Luc Godard=Cinema



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