ピンク・フロイド


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ピンク・フロイド  Pink Floyd

ピンク・フロイド (Pink Floyd) は、イギリス出身のプログレッシブ・ロック・バンド。

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実験的な音楽性や、スペクタクル性に富んだライブ、(70年代の作品では)現代社会における人間疎外や政治問題をテーマにした文学的・哲学的な歌詞で人気 を博した。芸術面で高い評価を得ながらメガ・セールスを記録した稀有なバンドである。クラシックやジャズの素養を持った技巧派の奏者が多いプログレッシ ブ・ロックの中にあって、ブルースを出発点とする(結成当初はブルースバンドだった)彼らの演奏技術は決して高い方ではないが、その音楽は独自の浮遊感・ 陶酔感を湛えている。

特に1973年発表のアルバム『狂気』は、芸術性と大衆性を高い次元で融合させ、商業的にも成功した金字塔的な作品。この成功が余りに巨大であった為、以 降彼らは、新作を製作する度に大変な重圧と戦うこととなる(そんな中で、『炎〜あなたがここにいてほしい』や『ザ・ウォール』といった名盤を残してい る)。一方、この作品の成功と比較され、同世代・後発のプログレ・バンド(イエス、ジェネシス、エイジア等)の70年代半ば以降の作品は、ポップ化・コ マーシャル化した(芸術性を、やや失った)と評価される事が多い。この意味で『狂気』は、エレクトロニカといった新時代のジャンルの先駆であると同時に、 プログレッシブ・ロック(或いは、パンク以前の黄金時代のロック全般)の、一つの到達点・飽和点と言える。

[バイオグラフィー]

1965年、建築学校(リージェント・ストリート・ポリテクニック,現ウェストミンスター大学)の同級生であったロジャー・ウォーターズ (B・Vo)、リチャード・ライト (Kd・Vo)、ニック・メイスン (Dr) の3人に、ロジャーの旧友であるシド・バレット (G・Vo) が加わり、ロンドンで結成された。当初はTHE PINK FLOYD SOUNDと名乗っていた。バンド名の由来はシドがピンク・アンダーソンとフロイド・カウンシルというブルースミュージシャンから拝借したもの。
1967年、シングル「アーノルド・レーン」でデビューし、セカンド・シングル「シー・エミリー・プレイ」(当初の邦題は「エミリーはプレイガール」)が ベスト10入りするヒットを記録する。同年にファースト・アルバム『夜明けの口笛吹き』(当初の邦題は『サイケデリックの新鋭』)をリリース。このアルバ ムをレコーディングしていた時、ちょうど隣のスタジオでビートルズが『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を制作していた。ピン ク・フロイドのレコーディングの様子を窺いに来たポール・マッカートニーはバンドの音楽を耳にし、「彼らにはノックアウトされた」と語ったという逸話が 残っている。
翌1968年には、デヴィッド・ギルモア(G・Vo) が加わり、セカンド・アルバム『神秘』をリリースするが、バンドのリーダーだったシドの脱退により1969年には4人編成に戻る。中心メンバーであったシ ドが抜けたことにより、バンドの行く末を不安視する声もあったが、見事にそれを乗り越えた。
1970年代には、『原子心母』、『おせっかい』、『狂気』、『炎〜あなたがここにいてほしい』等、プログレッシブ・ロックの名作アルバムを次々と発表。 特に『狂気』はビルボードのアルバム・チャートで初の全米1位を獲得し、15年以上(連続591週、トータル741週)に渡ってランクインするというギネ ス記録を打ち立てた。
『狂気』以降、ウォーターズが全収録曲の作詞を行うようになる。また、『アニマルズ』以降は、ほぼ全曲を単独で作曲。彼の内省的かつ痛烈な社会批判を含む 歌詞は、この時期の最大の魅力の一つであったが、彼が強力なリーダー・シップを執ったことで、統一感のある作品が生み出されていく。一方、彼の高圧的な態 度は、バンドの不和をもたらすこととなる。
1979年にリリースされたコンセプト・アルバムの2枚組大作『ザ・ウォール』は記録的な大ヒットとなる。続いて行われたコンサートでは、演奏途中に、聴 衆とバンドの間に発泡スチロール製のレンガを積み立てていき、やがて両者を完全に遮断、クライマックスでその壁が崩れ落ちる趣向の、空前の規模のステージ を演出し、大評判となった。1982年には、アルバムのストーリーをもとにアラン・パーカー監督により映画化され、後にライヴエイドの発起人となるボブ・ ゲルドフが主演した。
1970年代の末頃からメンバーのソロ活動が多くなり(メンバー間の不和が原因)、『ザ・ウォール』製作中にはライトが正式に脱退する(その後の「ザ・ ウォール・ツアー」にはサポートメンバーとして参加している。その為、同ツアーで出た莫大な赤字に対する処理に追われることは無かった。また、1987年 に復帰している)。1983年、黄金期ピンク・フロイドのラストアルバムとなる『ファイナル・カット』をリリース。直後にウォーターズは事実上の脱退状態 になり、1985年には正式に脱退を表明。一時、バンドは解散状態となる。
1986年、ウォーターズ正式脱退後にギルモアとメイスンによるフロイド再編成の動きに対して、ウォーターズは命名権を争う裁判を起こす(ギルモアとメイ スンが売上げの一部をウォーターズに支払うという条件で和解)。1987年、ウォーターズを欠いた編成による新生ピンク・フロイドとしてアルバム『鬱』を リリースする。このアルバムはウォーターズ抜きでありながら、全米・全英3位の大ヒットとなり、その後のワールドツアーも大成功を収める。
1987年ギルモア - メイスンの2人編成で活動。ライトはゲストで『鬱』に参加、その後のワールドツアーより正式メンバーとして復帰。一方でウォーターズはソロ活動を続ける。
1992年、ギルモア参加以降のアルバムを集めたボックス・セット『シャイン・オン』をリリース。
1994年、久々の新作『対/TSUI』をリリース。全米・全英ともにチャート1位を獲得。翌1995年には同ツアーを収録したライブアルバム 『P.U.L.S.E』をリリース(同タイトルのビデオ、レーザーディスクもリリースされた)。
1996年米ロックの殿堂入り。ギルモア、リック、ニックの三氏が参加、演奏する。
以降、再び活動停止状態に陥り、2000年に『ザ・ウォール』に伴うツアーを収録したライブアルバム『ザ・ウォール・ライブ:アールズ・コート 1980〜1981』、2001年にはベストアルバム『エコーズ〜啓示』をリリースした他はバンドとしての活動はなかった。
2005年7月2日に行われたアフリカ貧困撲滅チャリティー・イベント「LIVE 8」では、ウォーターズを含めた全盛期の4人によるラインナップで突如再結成を果たし、復活ライブを披露。演奏そのものは、ややタイトさに欠けブランクを 感じさせる内容だったものの、ウォーターズの存在感はそれを埋めて余あるものがあり、同イベントでも屈指の反響を得た。
その後しばらくして、ウォーターズを加えた形で再始動するとの報道も流れていたが、デヴィッド・ギルモアはこれをキッパリと否定している。
ピンク・フロイドのアルバム・ジャケットを手がけているデザイン・チーム「ヒプノシス」のリーダー、ストーム・ソーガソンは、ウォーターズとバレットの高 校時代からの仲間。『原子心母』や『狂気』などのアルバム・ジャケットは彼の代表作となっている。
2005年英ロックの殿堂入りを果たす。式にはデヴィッドとニックが参加。ロジャーが中継で参加。リックは目の手術のため不参加 
2006年デヴィッド・ギルモアのツアーにリック・ライトが参加。また、ロジャー・ウォーターズのツアーにニック・メイスンが数回参加して活動している。 デヴィッド・ギルモアのライブにニック・メイスンがゲスト出演していることも確認されている。その為、このツアーにはリックも参加しているため80年代後 期〜のフロイドのメンバーが96年米ロックの殿堂以来公の場で揃い、演奏した事になる。
同年『P.U.L.S.E』のDVD化に伴い、ギルモア、リック、ニックの三氏が揃ってイベントに参加。

[歴代メンバー]

シド・バレット Syd Barrett ...Guitars & Vocals  1967-1968在籍
1946年1月6日生まれ 2006年7月7日没 ケンブリッジ出身
ロジャー・ウォーターズ Roger Waters ...Bass & Vocals 1967-1985,2005在籍
1944年9月6日生まれ ケンブリッジ出身
リチャード・ライト Richard Wright ...Keyboards & Vocals 1967-1981,1987-2005在籍
1945年7月28日生まれ ロンドン出身
ニック・メイスン Nick Mason ...Drums & Percussions 1967-2005在籍
1944年1月27日生まれ バーミンガム出身
デヴィッド・ギルモア David Gilmour ...Guitars & Vocals 1968-2005在籍
1946年3月6日生まれ ケンブリッジ出身

ピンク・フロイド  Pink Floyd

[ディスコグラフィー]

[シングル]

1967 アーノルド・レーン/キャンディー・アンド・ア・カレント・バン
1967 シー・エミリー・プレイ/黒と緑のかかし
1967 アップルズ・アンド・オレンジズ/絵の具箱
1968 イット・ウッド・ビー・ソー・ナイス/夢に消えるジュリア
1968 星空のファンタジア/ユージン、斧に気をつけろ
1979 アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール パート2/ワン・オブ・マイ・ターンズ

[アルバム]

1967 夜明けの口笛吹き - The Piper at the Gates of Dawn  (全英6位・全米131位)
1968 神秘 - A Saucerful of Secrets  (全英9位)
1969 モア - More  (全英9位・全米153位)
1969 ウマグマ - Ummagumma (1969.10) [ライブ盤+スタジオ盤]  (全英5位・全米74位)
1970 原子心母 - Atom Heart Mother  (全英1位・全米55位)
1971 ピンク・フロイドの道 - Relics [コンピレーション]  (全英32位・全米152位)
1971 おせっかい - Meddle  (全英3位・全米70位)
1972 雲の影 - Obscured by Clouds  (全英6位・全米46位)
1973 狂気 - Dark Side of the Moon  (全英2位・全米1位)
超ロングセラーを記録したアルバム。アメリカのビルボード200位以内に15年間チャートインした怪物である。
レコード発売数をカウントされるようになってからの最高売り上げ枚数はマイケル・ジャクソンの『スリラー』だが、それ以前に発売された為正確な枚数はわか らないが、歴史上最も売れたアルバムとされている。(註;近年のメンバーのインタビューによると、3000万枚という発言も出て来ている。しかしながら、 これが正式な売上枚数かどうかは不明である。)
1973 ナイス・ペア - A Nice Pair [コンピレーション]  (全英21位・全米36位)
1975 炎〜あなたがここにいてほしい - Wish You Were Here  (全英・全米1位)
1977 アニマルズ - Animals  (全英2位・全米3位)
1979 ザ・ウォール - The Wall  (全英3位・全米1位)
1981 時空の舞踏 - A Collection of Great Dance Songs [コンピレーション]  (全英37位・全米31位)
1981 ワークス〜ピンク・フロイドの遺産 - Works [コンピレーション]  (全米68位)
1983 ファイナル・カット - The Final Cut  (全英1位・全米6位)
1987 鬱 - A Momentary Lapse of Reason  (全英・全米3位)
1988 光〜PERFECT LIVE! - Delicate Sound of Thunder [ライヴ盤]  (全英・全米11位)
1992 シャイン・オン - Shine On [CD-BOX]
1994 対 - The Division Bell  (全英・全米1位)
1995 P.U.L.S.E - Pulse [ライヴ盤]  (全英・全米1位)
2000 ザ・ウォール・ライブ:アールズ・コート1980〜1981 - Is There Anybody Out There? : The Wall -Live Earls Court 1980-1981 [ライヴ盤]  (全英15位・全米19位)
2001 エコーズ〜啓示 - Echoes : The Best of Pink Floyd [コンピレーション]  (全英・全米2位)

[映像作品]

1983 ピンク・フロイド ザ・ウォール(映画) - Pink Floyd/The Wall
1989 光〜PERFECT LIVE! - Pink Floyd in Concert Delicate Sound of Thunder
1992 ピンク・フロイド・ライヴ・アット・ポンペイ - Pink Floyd Live at Pompeii
1992 道:カレラ・パンアメリカーナ - La Carrera Panamericana
1995 P.U.L.S.E - P.U.L.S.E
1995 ロンドン 66-67 - London 66-67 Dedicated to Syd Barrett
2003 クラシック・アルバムズ:ピンク・フロイド/狂気 - Classic Albums:Pink Floyd/The Dark Side of the Moon






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