内田百間うちだひゃっけん

内田百閒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア（Wikipedia）』

内田百間（うちだひゃっけん、1889年5月29日 - 1971年4月20日）は夏目漱石門下の小説家、随筆家。男性。戦後は筆名を内田百閒と改めた（閒は門構えに月）。別号は百鬼園（ひゃっきえん）。本名は内田栄造。

「百閒」は、故郷にある旭川の緊急放水路である百間川から取ったもの。「百鬼園」は「借金」の語呂合わせである。

迫り来る得体の知れない恐怖感を表現した小説や、独特なユーモアに富んだ随筆などを得意とした。夏目伸六と親交が深かったことで有名。

[人となり]
岡山の造り酒屋「志保屋」の一人息子として生まれた。祖母に溺愛されて育ったこともあってか、非常に頑固偏屈かつ我侭で無愛想な人物として知られ、またそのことを自認もしておりよく作品内の素材に使用した。「官僚趣味」であるとも公言しており、位階勲等や規則秩序が好きであった（本人は陸軍士官学校教官時代に従五位拝受）。この好みのためか、秩序の破壊と復讐を行った赤穂浪士が大嫌いだとも書いているが、丸谷才一は「百閒は、自らを吉良上野介によく似た男として認識していたのではないか」と推理している。

しかしながら持ち前のいたずらっ気やユーモアもあって、特に法政大学教授当時の教え子（なお、百閒自身はこの呼称を非常に嫌っており、学生と呼んだ）たちから慕われた。還暦を迎えた翌年から、彼ら教え子や主治医、元同僚らを中心メンバーとして、毎年百閒の誕生日である5月29日に、摩阿陀会（まあだかい）という誕生パーティーが開かれていた。摩阿陀会の由来は、「百閒先生の還暦はもう祝ってやった。それなのにまだ死なないのか」、即ち「まあだかい」に由来する。ここにも百閒一流のユーモアと諧謔を垣間見る事が出来る。黒澤明監督による映画「まあだだよ」はこの時期を映画化したもの。なお、この摩阿陀会に対する返礼として、百閒は自腹で御慶の会を正月三日に同じ会場（東京ステーションホテルがその主な会場となった）で催し、摩阿陀会会員に対する返礼とした。

旧制岡山県立中等学校（後の県立岡山第一中等学校、現・県立岡山朝日高校）在学当時に父の死により実家の造り酒屋が没落し、それからは生涯金銭的には恵まれなかったようである。旧制第六高等学校(現・岡山大学)入学時にも、生徒は原則的に全員入寮が義務づけられているのに、内田家では寮に入る金が捻出出来ず、学校当局の特別許可を貰って自宅から通学していたほどだった。著作には借金を主題としたものも多いが、借金の大元の原因は明らかにされていない。（一説では、家族全員がインフルエンザにかかった際に一ヶ月間雇った看護婦への賃金が原因といわれるが、実際は正妻と別居して愛人と暮らし、しかも妻とは離婚しなかったために、子供の養育費や二箇所の住まいの家賃などで出費が嵩んだという事情のほうが大きかった。）昭和10年代の時点では、当時の金額で 5000円余り（2005年の貨幣価値に換算すると700万円以上）もの大借財に成長していたが、晩年には完済したといわれる。

琴、酒、煙草、小鳥、鉄道、猫、郷里の銘菓大手饅頭などを愛し、それぞれについて多くの著作が残されている。特に琴には岡山時代から熱心に取り組み、上京後は、「春の海」などの作曲で知られる宮城道雄に師事。最初は師弟関係であったが、のちに二人は大の親友となり、彼との交流を描いた随筆は数多い。また、宮城道雄の著書には百閒指導のものが多い。昭和31年6月25日未明、宮城が大阪行夜行急行「銀河」から転落死した後、百閒は追悼の意味を込めて遭難現場となった東海道本線刈谷駅を訪問し、随筆「東海道刈谷驛」を記している。

鉄道に関しては、「ヒマラヤ山系」こと平山三郎をお供に、全く無目的、ただひたすら大好きな汽車に乗るためだけの旅行を実行した鉄道紀行「阿房列車」シリーズなどがある。殊にその第一作である第一阿房列車は、戦後の百閒の代表作となっており、作家の阿川弘之や鉄道紀行作家の宮脇俊三も百閒を自らの先達として挙げている（鉄道紀行の先達としてのみならず、両氏とも、文章の達人・名人として、百閒を非常に高く評価している点が特筆される）｡熊本県八代市にある松濱軒(「しょうひんけん」。旧八代城主の別邸で、百閒訪問当時は旅館として営業していた。)に滞在する事が多く、何度も東京・八代間を平山と共に列車で往復した。酒豪らしく、平山とともに行き帰りの間じゅうはずっと酒を飲んでおり、酒を入れて持参した魔法瓶はすぐ空になり、帰りは食堂車に何時間も居座る始末である。ただ、四国旅行のときは風邪をひいてしまった。この旅行は、コンパート席に気味悪い相手が同席した上に車掌の態度に憤慨した九州旅行を最後に、完結した。

故郷の岡山県への愛郷心は人一倍強く、岡山での幼少時の思い出を幾度も繰り返し書き続け、阿房列車の旅では岡山駅のホームを必ず踏み、窓から風景を凝視するほどであった。大手饅頭をはじめ、岡山の食べ物にも強く思い焦がれていた。しかし「移り変わった岡山の風景は見たくない」「大切な思い出を汚したくない」として、恩師の葬儀（駅からタクシーで乗りつけ帰路はそのままとんぼ返りした）以外は決して岡山に帰ろうとはしなかった。死後、遺志により分骨されて先祖代々の墓に納められ、やっと帰郷が叶うこととなった。

晩年には飼い猫のノラとクルツを溺愛した。ノラが失踪し、その後に居ついたクルツも病死してしまい、その悲しみを綴った「ノラや」、「クルやお前か」もまた代表作の一つとなっている。

女優高峰秀子は最も愛読する作家として百閒の名を挙げている。

[年譜]
1889年（明治22） 5月29日、岡山市古京町に造り酒屋の一人息子として誕生。祖父の名から「榮造」と命名。
1905年（明治38）　父・久吉死去。実家の志保屋倒産。
1911年（明治44）療養中の漱石を見舞い、門弟となる。小宮豊隆、鈴木三重吉、森田草平らと知り合う。
1912年（大正元）中学時代の親友の妹、堀野清子と結婚
1914年（大正3）東京帝国大学独文科を卒業。漱石山房では後輩の芥川龍之介と親交を深める。
1916年（大正5）陸軍士官学校ドイツ語学教授に任官
1918年 (大正7)　海軍機関学校ドイツ語学兼務教官を嘱託される。同校英語学教官であった芥川の推薦による。
1920年（大正9）法政大学教授に就任。祖母・竹が死去。
1922年（大正11）　処女作品集『冥途』刊行。
1923年（大正12）　陸軍砲工学校附陸軍教授を命ぜられる。関東大震災により前年刊行の「冥途」の印刷紙型焼失。同震災により機関学校も崩壊焼失したため、嘱託教官解任。
1925年（大正14）　陸軍士官学校教授を辞任、家族と別居（以後生涯同居せず）。
1927年（昭和2）　陸軍砲工学校教授依願免官。
1929年（昭和4）　東京市牛込区の合羽坂に転居（佐藤こひと同居）。　中野勝義の懇請を受けて法政大学航空研究会会長に就任
1931年（昭和6）　航空部長として、学生の操縦による青年日本号訪欧飛行を計画・実現　なお、出発日は自分の誕生日であった
1933年（昭和8）随筆集『百鬼園随筆』を刊行、ベストセラーとなる。いわゆる「法政大学騒動」を機に法政大教授を辞職。百閒を追い出した陣営には森田草平や関口存男がいた。以後文筆業に専念。
1936年（昭和11）　長男・久吉死去（24歳）
1939年（昭和14）日本郵船嘱託となる（ - 1945年）。同年台湾旅行。百閒原作・古川緑波主演で映画「ロッパの頬白先生」製作。
1945年（昭和20）　空襲により居宅焼失。隣接する松木男爵邸内の掘立小屋に移住。このころの日記を『東京焼盡(東京焼尽)』として発表。
1948年（昭和23）　三畳間が3つ並んだ新居、通称「三畳御殿」が完成。『新方丈記』。
1950年（昭和25）　大阪へ一泊二日旅行。これをもとに随筆『特別阿房列車』執筆。以後『阿房列車』はシリーズ化、1955年まで続き、百閒の戦後代表作となる。
1957年（昭和32）愛猫「ノラ」が失踪。『ノラや』をはじめとする随筆を執筆
1959年（昭和34）小説新潮に『百鬼園随筆』を連載開始。死の前年まで続く
1964年（昭和39）　妻・清子死去（72歳）。翌年、佐藤こひを入籍。
1967年（昭和42）芸術院会員に推薦されるが、断る。辞退の弁は「イヤダカラ、イヤダ」として知られる
1970年（昭和45）　最後の百鬼園随筆である『猫が口を利いた』発表。老衰が激しく以降の作品が書けず、これが絶筆となる。
1971年（昭和46） 4月20日、東京の自宅で老衰により没する。享年満81。没後『日没閉門』が出版される。
東京中野区金剛寺の句碑「木蓮や塀の外吹く俄風」から、忌日を木蓮忌とも言う。

[代表作]

[小説]
冥途
旅順入城式
東京日記
サラサーテの盤
贋作吾輩は猫である

[随筆集]
百鬼園随筆
続百鬼園随筆
百鬼園日記帖
東京焼盡
百鬼園戦後日記
大貧帳
御馳走帖
戻り道
禁客寺
ノラや
馬は丸顔
日没閉門

[紀行]
第一阿房列車
第二阿房列車
第三阿房列車

[童話]
王様の背中

[関連作品]

[映画]
ロッパの頬白先生（1939年、東宝、監督:滝村和男、主演:古川緑波、原作：内田百間）

ツィゴイネルワイゼン（1980年、東宝、監督:鈴木清順、主演:原田芳雄、原作：内田百間『サラサーテの盤』）

まあだだよ（1993年、大映、監督:黒澤明、主演:松村達雄　内田百間と門下生を描いた作品）

内田百閒集成　ちくま文庫

新輯内田百けん全集　福武書店　全三十三巻

[外部リンク]
門の中---内田百間ファンサイト

[HOME]