植草甚一


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植草 甚一

植草 甚一(うえくさ じんいち、男性、1908年(明治41年)8月8日 - 1979年(昭和54年)12月2日)は、欧米文学、ジャズ、映画の評論家。

東京市日本橋区小網町の木綿問屋に生まれる。早稲田大学理工学部建築学科中退後、東宝に入社。戦後独立して映画評論を手がける傍らジャズや雑学への造詣を 深める。1956年、初の単行本『外国の映画界』を上梓。この当時は、肥満体の、好戦的で気難しい、敵の多い男として知られていた。出版社と喧嘩が絶え ず、『スイング・ジャーナル』誌の連載だけを主な仕事としていた。

1967年に晶文社から出した『ジャズの前衛と黒人たち』がきっかけとなって若い世代から支持を集め、植草ブームを招来。1970年にエッセイ『ぼくは散 歩と雑学が好き』を刊行して若者にサブカルチャーを普及させた。1971年に胃の手術を受けてから体重が激減し、痩身となる。この時期からブームが本格的 になり、一ヶ月に約300枚の原稿を執筆した。1973年には雑誌『ワンダーランド』を創刊。この『ワンダーランド』が後にJICC出版局(現・宝島社) に譲渡され、『宝島』として発展していった。

1974年にはじめてニューヨークへ行き、本、映画、ファッションなど様々な文化を独特の視点でエッセイとして発表し、さらに注目された。 1979年、世田谷区経堂の自宅で逝去。

彼の死後、多数のレコードコレクションの散逸を防ぐために、タレントのタモリがその全部を買い取ったという逸話がある。

エッセイ集として『植草甚一スクラップブック』(晶文社・1976年〜1980年/2004年復刻)がある。

片岡義男その他がパーソナリティをつとめる番組「気まぐれ飛行船」の中のインタビューコーナー「飛行船学校」でしばしばロングインタビューを受け、肉声を 聞くことが出来た。

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