吉本隆明


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

吉本隆明

吉本 隆明 (よしもと たかあき, 男性, 1924年11月25日-) は、東京月島(現中央区)出身。一般的には思想家と紹介されることが多い。(詩人、文芸批評家) 「隆明」を音読みして「りゅうめい」と読まれることも多い。

戦後思想の巨人と一方的に持ち上げる人間が居る一方、新左翼陣営からの批判も多い。

長女は漫画家・ハルノ宵子で、次女はよしもとばななである。ばななの作品の批判も行っている。 文学からサブカルチャー、政治、社会など広範な領域を対象に評論・思想活動を行っており、多数の著作がある。

親鸞やカール・マルクスが著者の思想の原点とされる。



[初期]
実家は吉本造船所(船大工。貸しボートのような小さな船を作るところだったらしい)。父の実家は、熊本県天草である。高村光太郎、宮沢賢治などの影響を受 け、10代から詩作を始めた。吉本本人は、10代の頃私塾に通っていた頃が自身の黄金時代としている。20歳のとき、勤労動員中に敗戦を迎えたことが思想 の原点になった(マルクスにのめりこむ契機となった。元々は、軍国少年だった。)

 東京市京橋区佃島尋常小学校、米沢高等工業学校(現山形大学工学部)を経て、1947年東京工業大学工学部電気化学科卒業(数学者遠山啓との出会い)。

工場勤務等を経て、1950年東京工業大学特別研究生、1952年東洋インキ製造(当時のインク会社最大手)入社。散文詩「固有時との対話」「転位のため の十篇」が初期の代表作。「荒地」新人賞を受賞している。『高村光太郎論』を発表。


[教祖的存在に]
文学者の戦争責任論から出発した彼は、戦後15年を経て起こった反60年安保闘争を戦後処理の矛盾の現われとして支持し、全学連同伴知識人の第二号といわ れる。そのため、言論界を干されると予測した吉本は同じような立場だった谷川雁、村上一郎とともに雑誌『試行』(1961-1997年、年3回刊)を発 行、スターリン批判をして共産党から除名された三浦つとむ、その弟子筋といえる滝村隆一、南郷継正、評論家としてここからデビューした芹沢俊介等の論文を 掲載していた。

60年安保における共産党神話の崩壊と新左翼の分裂から、『擬制の終焉』(1962年)における共産党批判、党派的文学理論に対して独立に文芸理論の指針 をつくろうという言語美、心的現象論、『共同幻想論』(1968年)の国家論などが学生らに広く読まれた。党派的・官僚主義的なマルクス主義にうんざりし た知識人の支持を受けた。1968年から『吉本隆明全著作集』が刊行される。

1960年代、1970年代には、全学連や全共闘等の新左翼に、反党派的自立思想の理論的支柱としてノンセクトに大きな影響を与えた。その意味では、新左 翼の一部の教祖的存在ともいわれる。吉本は全共闘も戦争責任者がそのまま大学教授に居座ったことの矛盾のあらわれとみている。


[80年代以降]
大衆論の「マス・イメージ論」、主に都市論の「ハイ・イメージ論I〜III」を発表。

1984年、アンアン誌上にコム・デ・ギャルソンを着て登場し、埴谷雄高から「資本主義のぼったくり商品を着ている」と批判を受け、論争を行った。

また1980年代後半、大江健三郎を中心に戦後民主主義をかかげる文化人たちが始めた反原発、反核運動は、反核ファシズムだと批判した。

オウム真理教問題では麻原をヨーガを中心とした原始仏教修行の内実の記述者として以前から評価していたことから、オウム叩きメディアから、中沢新一らとと もにオウムの擁護者であると批判された。吉本隆明にとってオウム事件は戦後(または20世紀)最大の事件の一つとされている。

80年代では、吉本隆明についての完膚なきまでの批判者として新左翼系のインパクト出版会(いわゆる新左翼の本郷村にある)から党派的な本を出した田川建 三が有名。しかし内容は他人の政治的なでっちあげ、嘘とデマで固めてあり、まともな研究者としての田川はどこへ行った、と、吉本は残念がる。 吉本に縁が無いのに吉本批判を読んで間に受ける反吉本教信者が、政治的デマの犠牲者として多い。

1990年代後半以降は、水難事故を経て、どちらかと言うと硬質な文章ではなくエッセイ的なものが多くなる。また、政治的には小沢一郎を絶賛するなど、保 守色を強めていく。

柄谷行人、蓮實重彦、浅田彰の三人を、浅田が吉本を読まずに政治的に批判し、それに柄谷や蓮實が同伴することから「知の三馬鹿」、宮台真司を心抜きで体罰 をすればいいという考えについて「本物の馬鹿」と揶揄(大塚英志との対談『だいたいで、いいじゃない。』では誉める意味での馬鹿だと発言)と呼ぶなど、現 在の状況に対しての発言は50年代から続けている。柄谷や蓮實については、「初めは吉本をわかったふりをしてすりより、(蓮實は吉本とフーコーの対談を企 画した)後で全然わかってなかったことがばれて吉本さんおこっちゃった」というすが秀実の証言もある。

吉本隆明の党派的発言、攻撃に対する過剰なまでの罵倒癖は、50年代からのもので本人の「独りが一番強い」という資質を如実にしめしている。吉本は自分が 先制攻撃された場合のみ、党派的・政治的陰謀で吉本を抹殺しようとする連中の批判に対してのみ、攻撃している。

2003年『夏目漱石を読む』で小林秀雄賞を、『吉本隆明全詩集』で藤村記念歴程賞を受賞した。

海外の対談者にミシェル・フーコー、フェリックス・ガタリ、イヴァン・イリイチ、ボードリヤールなどがいる。



[著書]
『言語にとって美とはなにか』1965年、勁草書房
『共同幻想論』1968年、河出書房新社
『心的現象論序説』1971年、北洋社
『最後の親鸞』1981年、春秋社
『「反核」異論』1982年、深夜叢書社
『マス・イメージ論』1984年、福武書店
『ハイ・イメージ論』1989年、福武書店
『言葉からの触手』1989年、河出書房新社
『わが「転向」』1995年、文藝春秋
『超資本主義』1995年、徳間書店
『母型論』1995年、学習研究社
『アフリカ的段階について』1998年、試行社

[参考文献]
吉田和明著 『吉本隆明』(フォー・ビギナーズ・シリーズ 32) 現代書館 1985年 ISBN 4-7684-0032-9
石関善次郎著「吉本隆明の東京」作品社
太田修著「叔父の思想:吉本隆明論」修羅出版
岡井隆「吉本隆明をよむ日」思潮社
梶原宣俊著 「吉本隆明論:戦争体験の思想」 新風舎
斎藤清一 編「米沢時代の吉本隆明」 梟社刊・発売新泉社
田川建三著『思想の危険について 吉本隆明のたどった軌跡』1987年8月25日発行。ISBN 4755400074
中田平共著「ミシェル・フーコーと<共同幻想論>」光芒社
西山道子著「私が読んだ吉本隆明」主婦の目から見た 知の巨人 近代文芸社
橋爪大三郎著「永遠の吉本隆明」洋泉社
宮内広利著 「吉本隆明における疎外から言葉へ」 新風舎
村瀬学著「次の時代のための吉本隆明の読み方 」洋泉社
吉田和明著 『吉本隆明論』 パロル舎 1986年 ISBN 4-89419-024-9
吉田和明著 『続・吉本隆明論』 パロル舎 1991年 ISBN 4-89419-013-3
「三田文学 70号」吉本隆明・私の文学(聞き手・田中和生)三田文学会
小説TRIPPER 2000冬季号「特集:進化する<吉本隆明>」宮台真司ほか 朝日新聞社
現代詩手帖2003年10月号「 特集 吉本隆明とはなにか」思潮社
「現代詩手帖臨増(3):吉本隆明入門」編集・斎藤慎爾  思潮社
「現代詩手帖臨増(1):吉本隆明」(新装版) ※元版1972年 思潮社
「現代詩手帖臨増(2):吉本隆明と<現在>」(新装版) ※元版1986年 思潮社
現代詩手帖2003年9月号「 特集 詩人、吉本隆明」 思潮社

[HOME]